第12回 埼玉県飯能市

飯能市

明治の四軒長屋を大正時代に改装した看板建築。近年、人気テレビドラマの舞台になったことで有名になった。飯能の近代を示す好例といえる

 都心から40kmほどの近さでありながら、秩父山系の緑に抱かれた自然豊かな飯能市。まちなかで川遊びが楽しめる飯能河原が有名な「緑と清流のまち」である。埼玉県で第3位という広大な面積の4分の3を森林が占め、江戸時代から林業が盛んだったため町は木材の集積で栄えた。鉄道の開通は大正4年だが、昭和初期まで筏を組んで川を下る、昔ながらの木材運搬の風景が見られたという。
  
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 

飯能市

1階内部の壁数カ所に鏝絵のレリーフがある大正11年築の飯能織物協同組合

  
  
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
    
  
飯能市

はじめは料亭だった新川長旅館は丸窓が印象的な看板建築

 関東大震災で倒壊家屋がなかったほど、飯能の地盤は堅固という。そのため、江戸時代から現代に至るさまざまな時代の建物を見ることができる。今は中央公民館となった旧市役所前の大通りを中心に、広小路、中央通り、銀座通りなどが、長い間町の中心として栄えてきた旧市街のエリア。トタンに塗られたタールの匂いを嗅ぎながら、レトロな家々を眺めて歩くのが楽しい。いかにも明治期と思える建物は、戦災で焼失後に再建したものが多いという。意外なことに驚いて確認すると、戦災といっても空襲ではなく、幕末の慶応4年に起きた飯能戦争のことだった。いかに町並みが古いか分かる。  

   

 
  
 
 
 
 
 
 
 

  
 
 

飯能市

繋がりが強い青梅と結ぶため明治43年に竣工したレンガ巻きの畑トンネル。77年間県道として使われ、現在は歩行者専用

  天覧山に登れば市街が一望できる。標高195mの山頂へは20分ほど。明治16年、この地で行われた陸軍演習を明治天皇が統監したことから名が付いた山である。かつて愛宕権現があったために愛宕山と呼ばれ、その後五代将軍綱吉の生母桂昌院が十六羅漢を納めたので羅漢山となるなど、時代を反映して呼び名が変わってきたのがおもしろい。天覧山からは多峰主への縦走や高麗へ下りるルートもとれるので、時間があれば足を延ばしたい。南麓には飯能戦争時に本陣となった能仁寺や、飯能の歴史がよく分かる飯能市郷土館(無料・月休)がある。また飯能は手塚治虫が晩年移り住もうとしたエピソードがあり、登山口そばに世界唯一という鉄腕アトムの銅像が立っている。
 
 
 
   

 
   
 

飯能市

平成5年に廃校となった吾野地区の北川小学校(上)と南川小学校。どちらも明治校舎が残され「學」の文字が彫られた蟇股や漆喰彫刻、ツルの懸魚をあしらった破風など見ごたえがある

 平成5年に廃校となった吾野地区の北川小学校(上)と南川小学校。どちらも明治校舎が残され「學」の文字が彫られた蟇股や漆喰彫刻、ツルの懸魚をあしらった破風など見ごたえがある  

    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
  
  

飯能市

筏師の弁当だった酒まんじゅうに味噌を塗ったのが始まりの飯能名物「味噌つけまんじゅう」。明治8年創業時からの製法を守る八幡町の新島田屋(月休)は餡入り。200円

 山間部にも廃校など懐かしい風景が点在している。飯能市街からは少し離れるが、平成17年に飯能市と合併して115年の歴史を閉じた旧名栗村には、旧村役場庁舎や木造のJA支店、名栗川橋などがある。とくに見ておきたいのは、県有形文化財の名栗川橋だ。大正13年に完成した埼玉県最古の鉄筋コンクリートのアーチ橋で、時代を反映して馬車の通行を考え幅を3.9mとっており興味深い。橋の近くには、鳳凰の飾りをあしらった旧名栗郵便局もある。 

 
 
 
 
 
 
  
 
  

飯能の地酒、天覧山。大吟醸が全日空の国際線ファーストクラスで飲まれていた逸品

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<所在地>
埼玉県飯能市
<問い合わせ>
飯能市観光協会/
飯能市商工観光課
TEL.042-973-2111
飯能市観光案内所 TEL.042-974-7900
<アクセス>
自動車: 圏央道・狭山日高IC
鉄 道: 西武池袋線・飯能駅/JR八高線・東飯能駅下車
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